前の増田にも書いた『エゴが子供についてだと昇華されてる不思議』について(アメブロにイモトさんの母の例で書いた事も)


この部分について

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あまりに人間ができすぎて、人の 犠牲になりすぎたり、自ら 人柱のような任務に就いたりする事を、望まない親 も多いだろう。( 女親と か特にこの傾向が強 いかもしれない。 自分の事ならただの エゴとして醜いもののよう に思われることもなぜか子供に対して働かせると 、普遍的に認められる ものになるという 不思議。 でも、自分 の子供への愛情なんて自己愛の変形や延長で しかないのに。)

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アメブロに、こういうふうに書いた事も

そして、ドーキンスへ・・・(超長文 前の記事の団体の人とのやり取りで親の愛=エゴだと気付いた話) | 借金で追い詰められ自殺は弁護士が人権問題として扱う。親に追い詰められ自殺は? [一人暮らしで親と絶縁]で検索するとわかる酷さ

真ん中より下の方
> イモトアヤコさんが、24Hテレビでマラソンを走る前、家族にマラソン出演を告白するのを取材した場面で、母親が 『誰かに変わって貰えないの?』
>と言っていた。これが親の愛なのだ。

>嫌な事大変な事を他人に変わって貰おうなんて、自分について言ったとしたら、なんて自分勝手で利己的な人・・・ということになるだろうに
>自分の子に対して言うと、親心になる不思議


(ここでは、ドーキンスについても言ってるけど、なんか最近ドーキンスも説として異論が出てきたみたい)


う~ん、不思議っちゃ不思議なのに、何故誰も言わないのだろう?
または、言ってても、あまり知られて無いのだろう?

最近見たブクマ多くてホットエントリに入ったはてなブックマーク - はてなブックマーク - はてなブックマーク - カオスちゃんねる : だれでも簡単にできる 「願いごと手帖」のつくり方や、マーフィーについても思う。
こういうのは、普通のうまく行ってる家の愛情深い親が子供に伝授するような空気のようなものではないだろうか?と。

マーフィーは牧師で、当時の社会の様子は、頑張ればアメリカンドリームも夢ではない状況だったので、方便としてわかりやすいと思ってそう言ったのではないだろうか?
と思った事もあった。

やりたかったのは、福音を届ける事で、浄土真宗悪人正機説とも似ているのではないかと思ったりもした。

マーフィーが生きてた当時は、今より貧困が原因の犯罪や反社会的行動が多かったのでは無いだろうか?
(今、日本でごく最近貧困貧困言われ、教育を受ける機会にも不平等が生じているなど論文書いた人も居たけど、そうは言ってもまだまだ均質社会だと思う。だけどそのせいで社会保障が行き届いてないとは思う)

マーフィーは牧師なので、牧師として何とかする一番効果的な方法が、この夢のあるちょっとお伽噺入った法話を教会での説教や講演ですることだと思ったのではないだろうか?

ももせさんの考え方も、オカルト臭はあまりせず、基本良かった探し的な精神に裏打ちされた考え方が、ベースで気持ちの在り方を、自分の子に伝えるような福音的なものがあるような気がする。