ちょっとしたトラブルがあり、書くのやめようかと思ってたけど、気を取り直した。

その事については、書いて下書き保存してある。
まあ、大した事ではない。


それより、今日思いついたアイデア

少し前、こちらが救済(公的機関への働きかけの協力)を求めて、野宿者支援している団体とコンタクトを取った事があった。
実は前からメールは何通もしていたが、そこと同じとは思わなかったので。
それについては、他の方の掲示板ではあるけど、書き込みさせてもらってたところにも書いた。

ネットカフェに置いてあったボランティア作成の冊子にあった、「昼間の居場所」というところでは、昼食は支給しないらしいという事が、合って話してみてわかった。
私が出して欲しいのではなく、隣で座ってた人が3食食べてないと思うと、ちょっと・・・みたいな複雑な気分になる。
そこはガスが使えるらしいと書かれてたので、パスタが茹でられないかなと思って行ったのだったが・・・
一人だけで、食えねー

そこの職員?は昼食あるらしい

そのことについては、そこの人ではなくて、女性向けのそのようなところをやってる人に、そこに行った時に聞いたのだった。
知らなかったから菓子を持って行ってしまった。
その女性向けのをやってるところは、私が何度も苦情の書きこみをしたところだった。。。
電話もしたし。。。

合ったらどういう人かわかったから、長期に渡って支援するとか言ってたけど、色々とおかしい。

最後に、自転車で去る後姿に向かって、「何もできなくて」だったか「行き届かなくて」だったか「あまり役に立てなくて」だったか
そのような事を言われ
冷水を浴びせられたように感じた。

そこに居たボランティアの人たちは善良そうで、そこの責任者が何とかすると思って、相談を勧めてくれたが・・・
公的機関へ市役所などへ、このブログやもう一つのブログに書いている区役所の対応のおかしさや憲法違反について、一緒に苦情を出すのではないのか?!?!
そこは役所への付き添い同行もやっているのに、なぜ?!

前置きが長くなったが、アイデアに話は戻る。

それと、まだ途中だけど、今日中に書きこみにしたいので、とりあえずこのへんで一度保存する。

そこの人が毎日昼食を出すと、100人くらい来てしまうので、週一にしていると言っていたが、考えてみれば、うどんや焼きそばが1玉20円で売られている昨今である。
つゆ代は考えずにだが、それで計算すると、市販されてる調理済食材でも、100人分で2k円にしかならない。
それくらい何とでもなるだろうに。
お金ではなく場所なのだろうか? しかし、それだったら支給する曜日はどうしているのだろう? 

イデアというのは、行政にも働きかけ協力させるところは協力させ場所などの提供をしてもらうのが望ましいが、内職の仕事を取ってきて、やってもたえばいいではないか?
そして、その内職代で昼食代を賄えば、良いのではないだろうか?
内職がいくら手間賃が安くても、一日20円稼げないわけはない。

でも、問題もあると思う。
内職とは言っても、労働なので、どういう扱いになるのか・・・
賃金は現金で支給しないといけないはずなので、お金の管理や何かがむずかしいだろう。

登録してもらって、運営スタッフみたいなものになってもらって、やって行くか・・・

そのあたりも、ホームレス状態の人だけでなく、人間が人間らしい最低限の生活を営めるように保証されてる憲法を持ってる国にいるはずなので、もっと融通が効く仕組みにしてもらって
何とかならないものだろうか


自分がまず考えていたもののイメージは
昼間の居場所という男性向けの場所は、ものすごいぼろい民家なので、あんな風な家や部屋なら、ものすごい安くで探せば借りられる部屋があるはずなので、そういうところを借りて、そこでやりたい人やできる人は、内職をするという形だった。
炊き出しの時も、何かさせなければいけないという思いからなのか、公園の煙草の吸殻などのごみを拾わせて、それと引き換えでごはんのパックを渡していた。
でも、それには賃金は発生してなかった。

登録してもらって、内職代も計算して精算して、20円で昼食を買ってもらうというのでもいいかもしれない。

普通の内職場としてというのでもいいかも。

内職できない人ややりたくない人の分は、寄付する人が居たら、肩代わりしてもらうのも良いという形式にして、募金的なものも受け付ける事にしたら、全員に行き渡るかもしれないし。

外国の生活保護にあたるものの仕組みは、お金ではなく仕事や作業をくれるというものもあるそうだ。
日本もそういう形式も考えたり、もっと色々な仕組みを作るべきだ。

それに、ホームレス状態の人たちは、ある意味すごい。
社会に組み込まれた労働をしてなくても、缶集めで現金を得ていたり、それでやっていけるからと、支援団体が生活保護を薦めても、断る人も居るそうだ。
昼間の居場所というところに行った時、居た人もそんな事を言っていた。

その方々の誇りというものも、考えないといけないと思う。



それから〜
行政を見張る方法 についても考えている。

公務員というのは、基本的には組合を作ってはいけない。
日教組が例外的に認められているのは、「子供を戦争に再び送らせないため」などという美辞麗句で綴られたまるで弁護士法のような張りぼての有名無実な大義名分があるためであって、給料上げろー!!!と人事院をせっつくためではない。
認められていると言っても、正式に認められているのかどうか、法的なあつかいはよくわからないが黙認状態のようにはなっていると思う。

このような事を考えるのは、教師だけで良いのか?!?!?!

国家は国民を守るもので、その出先機関である行政の部門の各役所は憲法に謳われている基本的人権が体現されるよう努力すべきなのに、そんな事をしても出世できるわけでもなく、国民(や市民や町民や県民や、各役所によって対する時に違う言い方になるが)の方を向いていた人は出世できず、上の人の意向を伺っている奴だけが生き残るみたいな非常に不健全な組織が出来上がっているのではないか?

労働組合がない会社をイメージしてもらえば、どういう状態か想像が付くのではないだろうか?

このような状態を見張るのに、会を作るとまたおかしくなる可能性もあるw
だから、個人で情報の開示を求める方法を、既存の市民団体と呼ばれている嘘臭い弁護士などが関わっている団体に、開示させる事を要求したり

内部的にも、国民のために働きたい公務員が団結できるような仕組みができれば良いのにと思う。

そうすれば「パワハラをするだけの簡単なお仕事です」というキャッチフレーズで語られそうな人たちも無くせるのに!!
(今変換で出た亡くせるのにでもいいなw)

国家賠償請求は弁護士が嫌がる仕事の一つだそうだけど、自分でする事もできるからな!!!

時効は20年もあるからな!!!

首を洗って待ってろよ!!!



まだ、書きたいと思っていて、近日中に書く予定の内容の予告

京都について
京都はなぜここだけこんなにも精神性が残っているのだろう?と思わせるようなものがあるのか、について
冗談で、京都の坊さんたちが結界を張っているからではwと思った事があったが、そうかもしれない。

寺というのは、知識の集積場でもあって、昔も今も京都は学際的な町作りを心がけて来たのではないだろうか?

京都というのは、悪い意味で言っているのではないけれど、ショールームのような町なのではないかと思う。
そこでだけ、通用する価値観を保っている。

坊さんが吸い上げてくるお金 〜というとやらしい言い方だが〜 によってもたらされた余裕を良い方向に使っているというか・・・

例えばNHKに出ていた京都のお坊さんは、幼稚園や小学校に行って、啓蒙活動みたいな事をしてきていると語っていた。
うまく書けないけど、エゴより助け合いができる事が良いですね、みたいなのを子供に関するエピソードに絡め、小さい人はわかってくれるみたいなことを語ってた。
(文章力ないみたいに言われるんだろうなwこの書き方だと)