名古屋の路上生活者支援団体に違和感を感じたのは、優先順位が違うからだと気付いた。(キリスト教系団体)

前にも書いた色々な矛盾

ボランティアと運営側の取り組む意識の違い
ボランティアは騙されてるとも言える

さりとて、弁護士たちがやっている色々な活動や団体ほどのあざとさも無い。

実際役に立っている面もある

弁護士たちや法律事務所のやっている会などとは趣を異にしている面はある。


弁護士たちやその関係の事務所が色々な活動をするのは、仕事してますよアピールのためだと思う。
今ちょうど人権週間で公的機関がうそ臭いアピールをしているけど、それと似たようなもの

(そんな中に大阪精神医療人権センターがあったのはショックだが)
精神医療人権センターに関しては、変だなあと思っていたら、法律事務所の住所らしいところが連絡先だった・・・orz

もうちょっと本気でやってるのかと思った
ひどいなあ

(大阪の人というより、何だか変なハイソな方々みたいで、変だなあと思ってたら、弁護士事務所だったという・・・)

ブログで♪飛ばして、 病院見学に行く様子を書いている
この神経は、法律関係者独特のものなんじゃないかと思う

他の科だったとしても、病院へお見舞いや何かの用事や調査で出向く時、♪を飛ばして 「行ってきます♪」 などと書ける人が居るんだろうか・・・

まして、精神を病んでいたり患っていたりされる方々に関する事なのに。

昔は、本当に酷い悪徳な病院を閉院に追い込んだ事もあったり、自分も入院経験があるという人も活動に加わっていたみたいだったが・・・
だから、市民活動的な盛り上がりでできたものなのかと思ったら
何の事は無い。弁護士主導だったのだwww
笑えるw
弁護士会は、前から精神病院に付いては、人権侵害を指摘したり、声明みたいなものだけは出している
ずっと前、名古屋の弁護士会に電話したら、病院の中からの相談なら無料で受け付けてますなどと言われたものだったw
(病院の中からの相談は聞けて、逃げてきた人の相談には乗れないというわけだw)
こういうのも、日本が民主的な法治国家であるという体裁を整えるために、表面的にやってるだけだと思う。

精神医療人権センターについては、私がブログに書きこんでしばらくしたら、ログイン制になり、その後一切書きこみを拒否した形式にして、自分たちの頑張ってますアピールだけを発表する場にしたようだった。

弁護士事務所がやりそうな事だw
ようつべでメッセージしても全く返事が来なかった。

このアピールだけをブログでするというやり方は、元ヤンの何とかと言うようつべで見た人もそうだった。
有名な議員にもなった元先生じゃなく、ただいま売りだし中の人w
ニュース番組何かに出てて、講演したり、親から有料で相談を受けたりしてる
有料でw
つまり、お金出す方の味方までは行かなくても、それなりにお金の出所に配慮した形になるだろう事は当然予想される
お金出してまで何とかしようという親が居る時点で、全然何も問題無いんじゃないのかと思うが
もっと酷い目に遭わされてる人はたくさん居るだろうに・・・
そんな、助ける必要もない人だけを熱心に救済してブログに書くのだw
さすが元ヤンやる事が違うwww



話は、戻る。
上に書いた事ほどあざとくは無くても、やってる事は、キリスト教アピールというか、まあアピールというと語弊はあるが、元々のやるべきこととしている活動に組み込まれているだけの話であって
キリスト教の団体の人たちの中でも、それに興味がある人が事務局の責任者などにはなっているのだろうから、それなりに何かやりたい役に立ちたいという気持ちもあるのだろうし、凍死者を減らしたいという気持ちも少しはあるのだろう(というか無かったら怖いけどw

けど、自主的に自発的に、人権問題や人道的見地からやってるわけじゃない
あくまでキリスト教がメイン
キリスト教の活動をやって、さっき書いた弁護士的に言うと、集めたお金をこういう風に活かしてますよと示すためとも考えられる。

信者からのお金が直接あてられているかどうかはわからないが

だから、かわいそうな人たちは、あくまでかわいそうな人たちでいなければいけないのではないか
根本的抜本的解決に取り組まないのはそのせいではないのか?という疑問

凍死者を出さないために夜回りしているのだそうだが、それは行政にもっともっと働きかけ、もっと本気で取り組ませるべき問題ではないのか

もっと他にもあるよ
「親戚は関係ない」などのひどいことを言われたのはここの職員
ボランティアではない。給料もらってる職員
地震ボランティアにも参加しに行くと言っていた職員
親戚は関係ない以外にももっと酷いことも言われた。
謝罪を事務局に求めたら自分は事務局で責任者は牧師だと言われたが、つい二週間ほど前にはボランティアの人はその人を責任者だと言っていた。


キリスト教と言っても色々あるが、YMCAやYWCA
名古屋のそれのページにあった
ネットカフェから検索してたとき出て、見てたら自分がひどい事言われた団体のリンクも入ってた。

それで、わかった。
その団体のサイトにはYMCAとの繋がりは書いてなかったので知らなかった。

YWCAのサイトには、夫の暴力うんぬんみたいな啓蒙や、女性用カウンセリングの案内もあった。有料だがw
メールはしてみたが、全く返事は無かった。

昼間の居場所と書かれたところの人は、YWCAのそのカウンセリング関係の事も聞いてみようかなどと言っていたが、いつのまにか立ち消えになった
1日目行った時最初そのように言ってて、どこかに連絡したりしてて、いつのまにか目を合わせないようになった。(1日目にして)
2日目は、職員が目を伏せて居ただけでなく、いつのまにか居なくなったから、どこに行ったのかと思ってたら、階段の影に隠れるように座っていたので、話し掛けるに掛けられなかった。
話し掛けないでねオーラがでていた。身を潜め、体を固くして縮こまっているというか伏し目がちにうつむいていて、それだけ見たらちょっと変な人の様子みたいだった。
その時は、助けてもらいに行ったのではなくて、菓子を持って、これからの身の振り方も一応決まったのでそれを話に行ったのだったが・・・
だって、前の日にその人も携帯で他に色々聞くくらい気になる状況だったわけだから、そのままにしておいたら心配させたままかなと思ったからだった。
が、しかし、そんな感覚は持ち合わせて無いから大丈夫みたいだったw

だって、よく考えてみれば変な話だよね
差し入れを持って配ってる人に対し、そこの職員が何の対応も反応も示さないなんて

そこに居たホームレス状態の人たちも含む人たちの方が気を遣ってくれて、そんなお金遣わないで持ってた方が良いのではないかと心配されたりした。
そこにいる人たちの中には、日雇いなどでそこそこお金ある人も居るのかもしれない。だからなのかも。日雇いじゃなくても缶集めなどかもしれないが、炊き出しだけではとても食いつなげないだろうから、何らかの収入源やどこかで食料調達して暮らしているのだろうと思われた。


前の日記(すぐ前ではないが)で、内職を取ってきてそれで昼食代くらい賄う仕組みを作れば良いのに、というような事も書いたが、それはこのように人のことも気遣える人たちが昼食も食べてないというのが気になったからだった。

内職との組み合わせじゃないけど、変な施設だったら、生活保護の人を囲い込むものとしてニュースで取り上げられたりもしているようなのもある。
上に書いた団体の人に、女性向けの日がある家(これはぼろ家ではない)を紹介され行って責任者に合ったら、以前トラブルがあり謝罪さえされてない人がいる団体だとわかったのだが(上にも書いてある団体のこと)その女性向けの日もある家で、路上生活者に生活保護を受けさせて囲い込むかのごとく保護費をほとんど支払らわせるほど割高な食費や家賃をふっかける施設、所謂貧困ビジネスについても語られた。
場所さえ把握しているのに何もしない
それは、そうやって来たら区役所も出さざるを得ないと言っていた
でもおかしい
岡崎ではニュースでやってたけど、役所とそういう施設が癒着していた。これはもう関係者は捕まったか処分されたと思う。
そこまでやると捕まるが、そこまでやらないと問題にならないのは問題だ。
岡崎で捕まったのは、施設が問題だからじゃなくて役所と癒着が問題だったわけで、施設自体問題でも何の規制も受けないなんて・・・

これだって、公費から出ているのだから、もっと一般市民も関心を持つべきだと思う。


こういう施設ができていると言う事は、必要があるからなのだろうから、もっと健全なこういう施設を行政が率先して作るべきなのに

自給できる施設
自力で稼ぎたい人もいるのだから
缶集めもいいけど、仕事や作業自体ができて、その費用で食費や家賃などが賄える仕組みが出来れば、生産性も上がるし良いのではないか

社会参加とは、飢えるからお金が必要で無理やりやるようなものでもなく、それ自体に喜びや充実感が伴うもので無くてはいけないのに、本来そういうものであるはずなのに、そうなってないから、自力で缶集めして生活保護を受けずにやって行きたいという殊勝な事を考える人たちも出てきてしまうのではないだろうか

社会参加が喜びなんて?!と思う人思わない人色々だろうけど、はてな増田日記で、適度な労働と衣食住がセットになった施設があれば、みたいに書いてた人が、異様に追い立てられたりなどパワハラ的なものがないというような事も書いてたような気がする。(書いてた人は難しい理想みたいな感じで書いてたのかもしれない)そういう所もあるだろうに、というかそれが普通でその人は今まであたりが悪すぎて社会や会社などの働く場について誤解して判断力が無くなってしまって、悪くて当たり前と思うようになったのかもしれないと思った。

地域性なのだろうか、今働いてるところには、人の暮らしがある感じがするし、人間らしく余裕やゆとりを持って働いている。
これは良いのか悪いのかわからないが、小学生の頃のベルと着席の関係みたいで、自分はベルが鳴る時には、仕事の席に居るよう心がけているが、ベルが鳴った時間が休憩が終った時間で、休憩室や他の場所から戻る時間なのだw
まるで小学生の時のベルが鳴る時間が、校庭に居て遊びを止める時間だったように。

でも、3時の休憩はそうでもないけど、昼休みはみんな来るのが遅い。私も仕事のくぎりが付いてから行ってるけど、さらにそれより来るのが遅い。
働いてる場所が違うので具体的には何をしているのかわからないけど。
だから、それなりに釣り合いが取れているのかもしれない。

こういうところもある。
ところ変われば品変わるの言葉通りに、地域性や何や色々なので、一部の都市部ばかりに目を向けなければ、もっと色々なものが見えて来るのかもしれないと思う。