暗野(橋本治著)という本の内容を思い出し、厨2病言う風潮(今は下火か?)は、文化不毛かもと思った

ブクマはここ
http://b.hatena.ne.jp/entry/doraconia.blog.shinobi.jp/Entry/40/

やっぱり。ここまで気分悪くなるかなあ?とも思う。ブログ主も書いてるように救いがない。救いがない話は他にもある。橋本治のイメージから余計ショックか。/暗野を思い出し厨2病という決めつけは文化不毛かもと思っ


橋本治に行き着いたのは、このレビューから
http://www.amazon.co.jp/review/R3V6JRJ6U2RNAK/ref=cm_cr_pr_viewpnt#R3V6JRJ6U2RNAK
> 筆者が「東大話法」と名付けた日本社会に蔓延する「欺瞞的語り」については、 以下リンクが、まだしも有益な議論を展開している。読みやすいので、是非。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4087202402/ref=cm_cr_asin_lnk
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4087202402/


ブクマは
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.amazon.co.jp/review/R3V6JRJ6U2RNAK/ref=cm_cr_pr_viewpnt%23R3V6JRJ6U2RNAK
最後に東大話法として説明された欺瞞的語りについて、こっちのがよく書けてると紹介されてたのは橋本治の本。橋本も東大卒。昔暗 野を読んで私が松本侑子を読んだ時の様な気持ちが何故こんなにわかる?と思った事も

まだつづく


最初のブクマリンクからの引用の〝やっぱり〟というのは、ここ↓の続きだから。
はてなブックマーク - Amazon.co.jp: 暗野(ブラック・フィールド) (河出文庫―BUNGEI Collection): 橋本治: Books
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.amazon.co.jp/gp/product/4309402607
あった。レビューは誉めてるけど売ろうと思って出してるのかな。わからなくて良い事知らなくて良い事を知って 芸術や表現として昇華させるのは許されてるからそうした印象も。 最後、世界全部壊す話だったような



橋本治さんの暗野--ブラック・フィールド--について、私は自分のブクマに、〝 わからなくて良い事知らなくて良い事を知って芸術や表現として昇華させる... 〟と書いた。
今となっては、詳細を忘れてるが、結局最後は、SF的にオカルト的に、2人(一人は植物状態で寝たきり、その前に接点はない)で世界を破壊しつくしてく話だったと思う。
橋本治は、それをボーイミーツガールを描いただけとか解説してたような。
書かれたのが1981年らしい(読んだのはもっと後)ので、バブルになるだいぶ前だけど、景気は悪いわけではなく、世相も暗いわけではない時代。ただそれが余計に、色々な事を考える人にとっては重荷かもしれないが。

恋愛が世界を壊す。
書き方が強烈だったから、特殊な事のようだけど、そういうことはあるはずだとも思う。(書きながらそう思えてきた)
それが、自立だったり自我の確立だったりもするだろう。
社会が成熟し、近代的自我の萌芽を容認していれば・・・

当時より今の方が保守的かもしれないし、今の方が良い意味で真面目かもしれないが、当時でも周囲の人も知り合いな状態での真面目な出合いの場(サークルや真面目な合コン)で目指すのは、いきなりではないにしても結婚に繋がる可能性も含んだ恋愛だっただろう。
このあたりの書き方が難しい。可能性とか含んだとか視野に入れとか、いくらでも抜け道のある言い方言い回しで表されるあたりにも、それ(難しさややこしさ)が、現れている気もする。

タイトルの〝厨2病言う風潮は文化不毛かも〟になかなか繋がらない
繋げてみる

厨2病と言われる状態とは、現実を考えず理想に走っていたり、思春期独特の自分が特別と、思いたい気持ちから、理想やヒロイズムやナルシシズムに走ったり、現実的逃避的行動に出たりすることで、それを総じて病気と揶揄した言葉が厨2病。

理想と現実

本音と建て前

内と外

ずっと昔からある社会的な問題も含んでるし、それプラス本人の思春期特有の特殊な心理もあるだろうし、それらの比率など複合的な問題もあり、一概に総じて病気と揶揄出来るものでもないはずだが
精神科の医師が論文書いて認められて、治療法も確立して、病気と認定されている病気じゃないのに、考え方として、ギャグのような形で巷に蔓延してしまっている。
本まで出てたのを見たことある。
こういう道化のような形で存在するものに対して、真面目に批判しても意味を持たないので、始末が悪い。
(自分は中2の時や思春期に特殊にのめり込んものはないし、その当時は言われて無いし、周囲は荒れ放題というかいじめとかはないが、中学にウィークエンダーの当時朝丸さんだった桂ざこばさんが取材に来た事件もあった。
厨2病どころではないw無茶苦茶な世界だったかも。)

厨2病が何故『病』と言われるかと言えば、
上に挙げたような、理由からではなく
力がない立場に居るからではないか?

これが主な理由なのではないか?

まだつづくかも


橋本治氏は、暗野の解説で、自分は怒っている!と書いていた。(ですます調だったが)
当時は、一般社会と表現を仕事とする人との差が今より大きかったかもしれない。
テレビの2時間ドラマでも、わけのわからないようなのを再放送で見る事がある。(例 烏丸せつこ大和田伸也三田村邦彦?のドラマ 三田村が学生時代から付き合ってたダメ男 大和田が結婚したエリートサラリーマンで、新居で三田村を殺して隠してて、ばれて最後にトラックに飛び込む。検索したけど探せなかった)
改革、改善、理想に燃えるのが恋愛!
なのか?
表現は自由にしても、破壊的は破壊的で、芸術衝動としては良いのかもしれないが、何だかなあ・・・?と思うけど

これは極端にしても、理想を持たないのも、厨2的と言われる独特なものが無さすぎるのも、問題かもしれないと思う。


それから、橋本治を思い出すきっかけとなった「東大話法」だが、傍観者的態度と言えば、はてな民といわれる人たちの一部か全部か知らないが、お家芸のようなもので、それを指摘する増田日記もあったくらいなので
ブクマの反発も道理なのかもしれない。
傍観者的態度というのは、責められるべきものなのかどうかは、状況によると思うので、これまた一概に言えない。

東大話法を書いた人は、『生きるための技法』(助けてと言えるのが自立)という本も出している。
自分が『助けて』と言われたらどうするのだろう?
東大話法の傍観者についての考察についても、自分の立ち位置を問われたらどうするのだろう?

このように難しい悪魔の証明にも似たパラドックスを含むものにばかり手を出すのは何故なのだろう?

ブコメはてな民じゃなくても、疑問は尽きない。
が、そうやって誰も問題提起しなくなったらまずい・・・・・ と延々続いてく問題のような気がする。

誰得かといえば、著者と読んでそれを活かす事が出来る人たちだから、実用性と啓蒙を兼ね備えた書として、捉える事も出来るのかもしれないので、一方的に騙して搾取するようなものではないのだろうとは思う。
とりあえず読んでみたい。
今居る市の図書館にあるのだろうか?