あったー!

リンクしないけど、東大話法の先生のブログあった!

こういうのブログで指摘ならまだ納得出来たかもしれないが、本にするとなると、違和感感じる。

魂の植民地とか、ずっと昔から外国の心理の本で書かれてた。この先生もその本の事書いてるけど。

東大の先生が、東大在籍しながら、東大批判とも取れる事を言う、本を出すというのが、逆説的な意味でも受けたり話題になると踏んで、出版業界や新聞は取り上げてるのだろうか?

だって、東大居ながらの東大批判の理由は、東大の事や日本の事を思ってと丁寧で誠実に思える美文で書いてあるけど、その行為自体が無理があり欺瞞ではないのだろうか?
それは、本当のところは、本人の内面の問題なんてエスパーでもないので、わかるわけもなく、それを過度に疑ったりしたら、侮辱してることにもなりかねない。
出版され世に出ている書への意見や批判を表明するのは、許されている表現の自由の範囲だと思うので、この程度なら差し支えないだろうけど、あまりに欺瞞欺瞞言ったり、嘘々言ったりして、その根拠を挙げられないとか、証明出来ない場合、名誉毀損が適用されない事もないのではなかろうか・・・?

ということは、翻って、この先生が書いた事ではどうなのだろう?
書き方がそもそも、〝学者ぶった議論をチマチマ展開している余裕はありません。〟(原発危機と東大話法 サブタイ傍観者の論理・欺瞞の言語 P17 )と書いてるように、ちゃんとした学問的な言い方ではできないとか、間に合わない、というようなニュアンスで書いているので、学問的に正式に批判されないし、出来ない。
ここで、学問的に正式に批判されないし、出来ない〝立場〟と書くと、立場に拘ると言われるのかw
なんか、おかしいなあ。。。

東大と言ってても、特定個人ではないし、日本中に蔓延と言っている。
でも、有名人は実名で個人を批判している。
批判された方も反論して応戦。
論争は、営業(宣伝)で、メシの種だから、良いのだろうか?
論争すると本売れる。カツマとこの東大話法で批判されて書かれてる人との論争でも、そうだから。

本、売るのは良いけど、社会に還元してくれるのだろうか?

そうでなければ、これも搾取の一つでは?

責任逃れ、と言ったら、責任が問えるみたいだし、責任あるように思わせられるけど
一般論だが、道義的な問題と、法的責任を問うて、損害賠償請求出来るか、というのはまた別だし
それを欺瞞というのは、どうかと思う。

だけど、道義的な問題が少しでも、法的に救われるようにすべきだし、そうなってなかったらそうなるよう問題提起したり働きかけたりすべきだとは思う。

原発危機への取り組みに落ち度や欺瞞があった、それが露見してしまった、今まで欺瞞を指摘することさえできなかった他の問題でも、これを機会に欺瞞的なことは無くして行こう!というのは良いと思うけど
何もかも欺瞞とか、悪意があるとか、搾取と思うのも、マズイのでは?

そうは言ってなくても、この書き方では、範囲が広すぎて当てはまる例があってもおかしくはなく、当たり前。
最初に結論ありきで、情報を集めてる。

東大話法という一連の本で指摘されるような事はあると思うし、ある程度までは当たっていると思うので余計残念。

実際に問題はあるんだけど、それを指摘する方にも問題があり営利目的のカルト宗教までいるという精神医療批判の世界とも、ちょっと似てるかも。


原発の取り扱いと、SSRIなど抗精神薬の取り扱いの、本音と建て前的な扱われ方に、戦前の大本営発表にも似たものも感じたし。。。。。。。。

しかし、SSRIは効く状態の人には効くだろうし、服用中の人はいきなり止めない方が良いと思う。
でも、飲まない方が良かった人もいるような状況は、読売新聞や一般のブログやライターのブログやカルト宗教(サイエントロジーのフロントCCHR  wikipedia 参照)のブログにも書かれてる。飲まずに済んだら飲まない方が良いかもしれないし、軽いうつで飲んで嵌まって困った状況に陥る場合もあるかもしれない。
逆に効いてる人も居るから難しい。
精神科の治癒率はかなり低い。(あるブログで3%とあったので、検索したらもっと低い数値を載せてる所もあった。)
それから考えても、欺瞞の塊であろうと推測は、容易。(証明は困難かも)

弁護士でも、悪辣さの仮説を立てるのは容易、証明は難しい!

指摘は容易なのに、容易な指摘は山ほど書いてある『東大話法』。
では、どうするかは少ない。

対上司編が、少しネットのインタビューに書いてあっただけ(他にも自分が読んでないものに書いてあるのかもしれないが)

では、どうするか 以前に、証明するのも難しい、責任と言っても不作為の作為を法律的に問えるのかどうかも曖昧な事ばかり

この本自体、かなり無責任な気がする。
信者を増やして教祖化が、狙いなわけはないだろうけど、その程度の効果しか無いのでは?

この本自体、東大話法
P17
〝この考察の結論は、読者の皆様にそのままお役に立つものではありません。〟
理由↓
〝というのも、人それぞれ、事情も違えば感じ方も違うからです。〟
しかし...と続く
〝しかし、私がこの拙い思考を開陳することで、皆さんがこの状況を生きるためにものごとを考え、判断するうえで、お役に立つのではないかと考えています。〟
『拙い』ってのが、謙虚なのかもしれないけど、自分は力無い弱いものなので、(困った事は持ち込まないでね)というエクスキューズにもなっている。
弱無いやろw(よわないやろw)
それこそ責任回避の技法では?

この手のあると言えばある無いと言えば無い責任については、回避したからと言って悪いとは言えないと思う。

でも、それを悪いとは言わないまでも(このへんも微妙かな)、従来より突っ込んだ意見を発表してるわけでしょ?
何か変だなあ・・・

何か変だなあ、では的確な批判になってないけど、著者自身も学問として議論の爼上に載せない事を選んでるんで、

アイコやんw

この人の言ってる事は、能書きに負けず、対等と考えろ!ってことだからw


前にもチラと書いたけど、私には世の中じゃんけんのような仕組みになってるように見えるので、この人の考え(と私が思ってるものかも)とは違うような気がする。

この人自身が救いを求めつつ、とも見えるようにも書き、しかし自説を展開するなどある程度自信がないと出来ないはずの事もやっている。
どうもよくわからない。

読んだ人は、影響されて変な世界に引き込まれないよう注意かもw
問題提起してるだけで、問題解決に繋がってはいない状態で書いている。
表現としては許されているから、良いんだけど、読んだ方のメリットになるかどうか不明。

世の中、知らない方が良い、わからない方が良い、ということもある という考えもある。

こういう欺瞞的な人たちは、居るかもしれないけど、近くに行かない事も出来ると思う。

とりあえず、本は他のも目を通して見るけど